2005年12月09日
15%の耐震強度ってさ…
asahi.com:
震度5弱でも倒壊、藤沢のマンション 強度最小0.15
http://www.asahi.com/housing/news/TKY200512080341.html
15%って相当すごいと思うですよ。構造計算したほうも作るほうも。
↓ということで…
滝川クリステルジェネレーターにより作成 http://gedo-style.com/crstl/
ちなみにamazonでジェンガを買うとさらに12%オフだそうですよ(はいそこ! 計算しない)
投稿者 KQZ : 02:10 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月01日
新橋でメシ食いながら帝国はとても強いを歌ったりVIPSTARを聴いたり
朝から新しい作業の打ち合わせをしたり面接をしたりしてたら昼過ぎ。
人の話を聞かずに自論ばかり述べてくださる方は疲れますです。それも3年前の知識レベルだし。
逆にかなりの時間をかけて色々な取材をされちゃったけど、このネタ使って次の転職面接に使うんだろうなぁ。気をつけてくださいまし。>同業各位
その後マル秘な数字の話をしながら昼飯。麻婆丼はまぁいいけどセットのうどんが不味すぎる。
んでその後は東中野の制作会社さんに行ってあれやこれやと打ち合わせ。
こうした方がいいんじゃねーの? なアイデアが出たのでまとめてみるか。むぅ。時間が足りない。俺を二人くれ。
会議を早引けして新橋へと移動。
清忠さんご夫妻とMITIの境さんと顔合わせメシなのだ。
境さんというのはhotwiredでこんなのを書いている人ですな。
若干遅れ目で店に到着。
今日の店はしみちゅーのセレクションで「たんと」というお店。
入り口から入ると(当たり前)なにやらただならぬ雰囲気。こういう勘が働くようになってもう数年経ちますがこれは期待が持てそうでございますです。
席に案内されると既に三人が飲んでいた。すまんこってす。
改めて挨拶しながら名刺交換など。
実はいろんなところですれ違ってるんだけどね。大勢参加してる会議とか国際平和の会でGacktを沈めたのは境さんだったのね、とか。
四種類のトマトのサラダやらカワハギの刺身やら酒盗ピザやらハモンセラーノをたっぷりかけたサラダやら、出てくるものがいちいちうまい。
チーズトーストに寿司屋並みに新鮮な海胆と生もずくをトッピングして食べるのにはビックリした。
こりゃ面白れーや。
ちなみに代表社員兼配膳係の渡辺一史さんは見た目はサンズの野田社長にそっくり。赤坂六甲亭のオヤジさんにも雰囲気は似てるかな。
酒は菊姫やら王禄やらをとっかえひっかえ。
さて境さんに話題をもどすと、形ばかりの挨拶の後はまったくの同年代なので話があれやこれやと弾む。
DAICON3だとかダースベイダーのテーマで「♪帝国はーとーてもー強いー」だとか秋葉原ではどこに行ってたとか麻布中学の●●は■■で、とかそんな感じ。
なんか変だ。
ちょうどiPodにVIP STARを歌詞カード付きで入れてあったので聴かせてみると大盛り上がり。
でき方のプロセス自体がコンテンツ制作におけるSETI@home化みたいなもんだしね。
しかしクオリティ高いよなー。kobaryuって人は神。これはもう平井堅は要らないかもしれんね。(ぉぃ
※サーバが落ちているようなのでgoogle casheでドゾー
http://72.14.203.104/search?q=cache:ETBC-Fu_y1gJ:www.afterbarner.com/vipstar/+VIPSTAR&hl=ja&lr=lang_ja
ちなみにちなみに目をひん剥いた境氏はガレッジセールのゴリさんを彷彿とさせておりました。
たらふく食って飲んで解散。
その後清忠夫妻とAbbot's Choiceによって軽飲み。
いやはや飲んだぁ。
くいものや たんと
港区新橋1-9-2 新橋二光ビルB1F
TEL: 03-3574-9156
営業: 18:00~04:00
定休: 土曜・日曜・祝日
Link→ Yahoo!グルメ - あっ!めし家 たんと
投稿者 KQZ : 23:59 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月18日
blogにしてから二年たったらしい。
そういえば備忘録をMovableTypeにしてからほぼ二年が経ったようなのでして。
なんだかサイドバーの過去ログがだらりの帯で長いのです。
…って祇園小唄かよ。月は朧に東山っと。
元はといえばこのblogは(前にも書きましたが)誰に読ませるということもなく単なる「何を食べたか」「何をしたのか」といった単なる備忘録だったのですよ。
ここら辺のことについては一年ちょっと前のエントリーに詳しいので読んでもらうとして。
単なる個人的な備忘録として、平成初期の東京で季節ごとに何を食べ、どこに遊び歩いていたのかをただただ書き記しておけば村井弦斎の「食道楽の献立」とはならないまでも何かしらの意義も無きにしも非ず、といった感じで始めたのだと思うのです。
それでたしか1995年からしばらくはhtml手打ちで、その後ごく普通の日記用cgiに手を加えて使っていたのですが、CMSとして使い勝手のよさそうなMovableTypeに移行したという次第。(あ、CMSってContent Management Systemの意味ね)
例えばここに移行してある最古の一昨年あたりの夏の記述を見てみると
2003年08月28日
普通の日
豚と2種類の豆の煮込み
ゆし豆腐オクラ添え
胡瓜とワカメと生姜の酢の物
2003年08月29日
普通の日
五目野菜の趙楊特製豆板醤炒め
ウーウェン先生のターピン
トマトの石垣島辛油サラダ
メキシカンマンゴーのプリン
とまぁ芸のない自炊した食べ物の記録だったりするわけなのです。まさに村井弦斎ちっく。
ちなみに移行せずに放置してある時期には↓こんな文章を書いておりました。
- 薫風芳しき五月晴れ。
周囲の人たちは連れ立ってできたばかりの To the Harbs に、などと言ってはいるが
こちとらどうにも病気がでてしまっている。
そう、「日本男児たるものただただ無性に牛丼を喰らいたくなるときがある」病。
- 今日は朝早くから会議だったので朝飯抜き状態ということもあるのだろうし、
このところ定番になっていた月曜日の東高円寺の牛丼遅メシがなかった、
というのもあるだろうがともかく、築地は勝鬨橋手前にある吉野家築地店へと足は急ぐ。
うむ、カウンターには鈴なりの野郎どもが手に手に牛丼をかっ喰らっている壮観の図。
その端の方に席が空きすかさず入ったと思ったら「大盛り卵味噌汁もつけてね」と
立板に水の注文を浴びせかける。我ながら御立派。
しかしながら「特盛ですか?」と聞き返されてしまう。
ここは場所柄か築地場内の出入りや飛脚印の荷積の人夫やらが多く、どこの店よりも
大盛特盛の比率が高いのだ。
- 普通の大盛にしてもらって周りを見回す。うむ、働く親父どもの一時の休息。
ふとカウンターの中を見てみると、そこにも4人の働き手が。
そのうち配膳担当の二人が妙に怪しいことに気づいたのは牛丼に卵を割りいれ
七色唐辛子をかけながらのことだった。
細身の色白のほうがどちらかというとがっしりとした浅黒い男の斜め後ろから
なにやらボソボソと声をかけると「やめてよぉ一生懸命働いてるんだからぁ」と
福岡翼(+15%パワフル)といった感じの黒男がくぐもった嬌声を上げているのだ。
なるほどもぐもぐ。
- 今日の牛肉はいつもより厚手に切ってあり噛みにくいなどちらかというとやわやわの
へろへろの方が牛丼らしくてよいのだが、と考えながら咀嚼しながら気づいたことには、
この店であれば彼らはお好みのむくつけき男共を鑑賞しながらお仕事が出来るのだな、
という客観的な状況であった。
途端、店内は薔薇の光に満ちあふれたような感じがした。
周りの誰もが気づいていないようだったが。もぐもぐ。
急いで食べ終わるとお勘定を頼む。
「600えんですっ」の声も瑞々しく聞こえてしまう。
1,000円札を出すと当然おつりが400円。
硬貨を受け取るときになぜかカジヒデキ(-10%三日間下痢)の白男の細い手指と
からんでしまった。
なんてこったい。
…読んでて泣けてくる。ぜんぜん変わってないみたい。
月曜日の高円寺というのはゲームWAVEの作家打ち合わせですかな。
当時勤めていた会社から社員アーティスト契約してもらってしばらく経ったくらいの時期か。
それ以外にも仕事上の企画アイデアメモとか台本の切れっ端とかをサイトにがんがん上げてどこでも触れるようにしていたのですが(ゆびきたすぅ? みたいな?)、そこら辺の内容まで移行することもなかんべということで適当にやっております。
ま、今もこのblogにしても「投稿の状態」を「下書き」にしたままにして家と仕事場との双方で開いたりもしてるんですけどもね。
もっともUBIMEMOを導入してからはそっちを使用していたりするわけなのですが。
さてさて、MovableTypeに移行したとはいえ純粋なCMSとして使っていただけであり、このblogのURLを教えているのも10名程度でrssをどこに配信するわけでもなく平々凡々幸せにすごしていたのに異変が起きたのはこばん&ひげいとう&山本一郎事件のせいなのではありますがそれはそれとしまして。そこら辺のあれやこれやもここに書いたので割愛っと。
で、いざ人目に晒されはじめると何がよくなったかというと(めんどくさいことも多いけど文句ばかり言わずにいいところを見つけてそれを引きずらないのが大人の所作だ)、これまでの非力なサイト内検索から一転してパワフルなGoogle検索で今まで自分の書いた文章が引っかかってくれることだったりするんですね。
当時はGoogleのDesktop Searchもなく、かろうじてMacintoshのSherlockエンジンに未来を感じていたものでしたが、自分の脳内+記憶媒体全てをうまくCommand+Fで検索できるツールはなにかというと、実は公開のサイトに上げてしまってGoogleのRobotさんにクロールしてもらったほうがいいのではないか、とか思ってもいるわけなのです。あ、脳内はまだ無理だけど。
誰でも今すぐにできるユビキタスなCMSの一環としての、そして簡便に導入できてコストも安い外部ASPとしてのGoogleタダ乗りってことです。
なぁんてことを考えていると、はてなが社内会議をポッドキャスティングで配信している、という一見不可思議な行動もなんとはなく分かるような気がするのです。
おりしもshi3zさんとringoさんのblogを読んでいるとWikipediaとGoogleについて語られています。
WikiにしてもGoogleで引っかかった情報にしても、どれだけ信用ができる情報なのか、どういった人がどういった態度で書いているのかが分からないとあてにはなりません。
それらがある程度以上信頼できる閉鎖されたデータベース空間を考えてみると… 例えば、特許庁の検索窓に仕掛けを作って「誰が」「何と」「何を」「どれくらいの頻度で」「どれだけの時間をかけて」検索していたかということが分かれば、それはものすごいヒントになるはずです。おそらく、その履歴を念入りに分析していけば発明や発見のスピードは飛躍的に上がるのではないかとも思います。(学会論文の引用の履歴でもいいですが)
ですが、サーチエンジンなんてそんな程度なのだと思います。
元になる情報の質がどれだけ均質に高く保てるか。
それを考えると象牙の中の人は楽だなぁ、と嘆息してしまうワケなのでありますが。
…ああ、またもどーでもいいエントリーでWeb空間の品質を落としてしまった。
↓今日の献立に迷ったら読んでみるといいかも。
投稿者 KQZ : 01:28 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月02日
楽しいという感覚はうれしいという感情を微分したもののような気がしてきたその次に
承前。
楽しいという感覚がうれしいという感情を微分したものだとしたら、
哀しいという感情を微分したら、いったいなにになるんだろう。
喜怒哀楽を感情の極とするなら、それは怒りなのかもしれないし、
そうではないのかもしれない。
とまれ、僕らはエンタテインメントの世界にいる人間だ。
楽しいという言葉にくくられるものの中には、
時に怒りや哀切に似た感覚が含まれていることくらい
とうの昔から気づいている。
そこには速度ではなく、
もう一つ微分した加速度的なものを考えればいいのかもしれない、
などと思いいたったのだ。
それはf(x)上にいる者にとって考えてみれば、
いち時間切片での減速(怒りや哀切)に振り回されてはいても、
二次微分したさきのトルクをうっすらと信じてさえいれば
そのジェットコースターを楽しむことすら許される、ということなんだろうか。
その先に待っているだろうカタルシスとしての加速と、
最後に待っているだろう明るい未来。
それを数式とグラフで表すとしたら…
あ、mathematica入ってるマシンって青バケツのG3だった。
立ち上げるの面倒だからやーめたっと。
投稿者 KQZ : 00:14 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月01日
楽しいという感覚はうれしいという感情を微分したもののような気がしてきた。
久しぶりにSMAP×SMAPを見たら木村・中居の二人が草なぎ・稲垣メンバーをいじめて笑っている番組になっててあららららだったのが大道具と小道具チームががんばっていて質は高いのでまぁいいかを感じたり。
んなことはさておき。
- (追記:本稿はUBIMEMOを使ってケータイ電話で打ち込んだものをそのまま出してますんでまとまりきってないのはそのせいだったりするです。いやUBIMEMOのせいではないんですが取り急ぎのいいわけでおま)
今日はぼんやりとしながら「はて楽しいってなんだろう」ということを縷々考えていたのだ。
とりわけインタラクティブメディアのそれを。
「楽しい」はどこかプリミティブな根っこのところで「うれしい」につながっているような気がしてきて、
そうしたらこんな変なタイトルになってしまったというわけなのでして。
ココらへんと並べるとあの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するんだろうな感じですな。w
多分、ストーリーを味わうというのは特にメディアを限ったものではないので「組み合わせるべきもの」であると思うのだ。
ストーリー展開の妙に分岐性やインタラクティブ性、干渉性(他のプレイヤーがストーリーにインタラプトしてくるなど)にしていけばゲームっぽくなるだろうが。
だから、
演出
絵の美しさ
音楽の美しさ
これらは質を高める必要条件ではある。
んーっと…
(以下メモ)
- インタラクティブ性
- 自分が動作したら、すぐに反応してくれる
本や映画といったスタティックなメディアとの違い - 上達する喜び
- 速くなる
大きくなる
強くなる
硬くなる
長距離飛べる
深く掘り進められる
… - 楽しい時間は
- その瞬間、すぐに楽しい
- ある程度の時間継続して楽しい
- ある程度の時間継続して楽しい
- 勝ち負けがわかるタイミング
- すぐ分かる
タイマン勝負ならすぐにわかるはず- 後でわかる
宝くじのように、あるいは月間チャンピオン大会のように…
- 後でわかる
- 時間に
- せかされる
オンラインはどうしてもせかされがち
→せかされずに遊べるMMOとかって面白いかも??- ゆっくりやっても大丈夫
ターン制の遊び
郵便(文通)の楽しみ
→風来のシレンなどローグ系のゲームや一部のRTSなど
- ゆっくりやっても大丈夫
- 勝負の付け方の色々
- 競り合い
逆転に次ぐ逆転ではらはらどきどき- 一発逆転の醍醐味
最後の最後で形勢逆転! の醍醐味- コンプリートする
昔のドラクエ1や2のように、ポケモンのように、
競争すべきは目の前の相手ではなく、誰か共同体につらなるダレカであり、
同じ舞台でダンジョンを攻略し、全てのポケモンを集めたがる。
- 一発逆転の醍醐味
- 競い方
- 個人の満足
ヨガ、盆栽- 目の前でスクラッチ勝負
腕相撲形式
目の前の敵と戦う
基本的に数値化できない(全盛期の千代の富士と今の朝青龍とどっちが強いかは絶対にわからない)- 数字で評価
ベンチプレス世界記録- 誰も行った事が無いところ・前人未到の場所を行く
真っ白な雪原に足跡をつける楽しさ
「誰も行った事が無い秘境を開拓したい」という冒険家の思い
科学者の発見の喜び
→大航海時代での地図を切り開いていく面白さ。
→新サーバーが立ち上がると「オレはこのサーバーで一番初めに●●を倒した…」とかやりたがる - 目の前でスクラッチ勝負
- うれしい
- 自分の作ったものをみんなが使う喜び
DNAを残したい、という欲求からか?
自分の書いた歌が街で流れているのを聞くと嬉しい
自分の書いたレスがテンプレートになって他人が使うと嬉しい
自分が出したハイスコアが残っているとうれしい- イメージ通りに動く喜び
飼い犬がいうことを聞いた
自分の書いたプログラムが思い通りに動いた- 全部集める
隅からすみまで- ぴったりあう
音と動きがぴったりあってうれしい
ダンスダンスレボリューションなど計算がぴったりあってうれしい
任天堂DSのやわらかアタマとか全員の動きがぴったりあってうれしい
MMOのギルド戦闘、コンビネーション、北朝鮮のマスゲームなど - イメージ通りに動く喜び
- 五感の限界を超える
- スピードなど
リアルでは走れないようなスピードで首都高を走る
- …
- 評価軸あれこれ
- スピード
- 高さ
- 飛距離
- 重さ
- 広さ
- 女王様のご機嫌が良くなる
- 高さ
- 1ゲームにかかる時間
- 一瞬
- 3分
- 30分
… - 3分
- その他
- 人と違う
特別扱いしてもらえる- みんなと同じ
帰属意識の楽しさ
マスゲームが成功したときの楽しさ- 比較可能・比較不可能
そもそも比較できるのか?
→がんばれ森川君2号とか?
親バカ・飼い主バカの楽しさ
盆栽自慢 - みんなと同じ
おそらく、今の日本という場所は人類史上稀に見るインタラクティブメディアの波頭にあるはずなのだ。
なんかまとまりがつかないうちに別のことを思いついたのでいったんここは終了して次に。
投稿者 KQZ : 23:43 | コメント (2) | トラックバック
2005年07月25日
上手の手からコールドリーディングと意外にいい人ホリエモン
なんだか休日に25時間テレビとかをやっていたようで、夜中にぼんやりと見ていると細木数子とホリエモンがなにやら占いをはさんで世間話をしていたのでした。
しかし絵だけでもチャンネルを止めさせてしまうだけの力はあるなぁ。暑苦しいというかなんというか。
何かについて自信ありげに喋る近所の世話焼きおばちゃんと東京から久々に帰省してきたはねっかえりの秀才のお兄ちゃんのやりとりという体からして面白かったのですが、最後のやりとりが非常にこれまた興味深かったのでした。
その場面を見て、以前アップしたエントリーを読んで同じ事を感じた人も多かったらしく数人からメールが来たりしましたが、まさにコールドリーディングがかるく破綻しかけ、それを修復していたさまが見えてとても面白かったのでした。
※コールドリーディングについては『一瞬で信じこませる話術コールドリーディング』などを参照のこと
で、その面白かった状況については放送作家の福本君から来たメールを転載するとして…
フジテレビの25時間で細木先生のコーナーを見ていたら例のトーク方法が出てきました。
ライブドアの堀江氏とトーク中、乙部さんの話に急になったところで、細木さんが乙部さんに「アナタ、来年、いい人が出てくるわよ」と宣言。
堀江氏が小声で、「旦那がいるんですよ」とフォローしたところ、
「アナタ、いい人って、すぐに男に結び付けるなんてバカじゃないの?
子供とかいろいろあるでしょ?」
「いや、子供もいるんですけど」
「いい人っていっても、新しいボスと出会うとか色々あるでしょ?」との切り返し。
今まで、説得力のあるような気がしていた細木先生ですが、カラクリがわかると、「ふ~ん」という感じでした。
この間の話がそのまま役立った(?)ので、ご報告までです。
まさにコールドリーディングは「言いつくろいの技術」だったりするのですよね。
さて、基本的によくできた占いのシステムは二律背反というかダブルミーニングの相を持っています。
(それは本来現実の世界が二律背反的でありそれをそのまま映しているから、という意味あいももちろんあるのでしょう。むしろ、各文化=各占いシステムそれぞれの様相の捉え方のほうがずっと面白くて勉強になるのですが)
さてさて。
コールドリーディングのシステムを単純に書いてみるとこんな感じでしょうか。
※しかしPowerPointのデフォルトの色ってダサいなぁ…
このシステムをより洗練させるために、まず鎌掛けして反応をみて… という手順があるわけなのですが、今回の場合には「20代後半で仕事をバリバリ(プッ)やっている女性なら『いい人が出てくるわよ』あたりが過不足無く思い当たりそうなキーワードだろう」という世間知による鎌掛けが見事はずれたということなんでしょうか。「徹子の部屋」スタッフのリサーチ力を見習え、と。
- んが、ここで面白いのは本当に占いにそう出ている可能性もあるってことです。なんせ数千年の間はぐくまれてきているシステムですから、世間的に良くありがちなことは内包している場合が多いというわけでして。
さてさてさて。
福本くんをはじめとする数人(電話を掛けてきたヤツもいた)が面白がって連絡をくれた上記のくだりも無論のこと楽しめたのではありますが、むしろ僕がもっと感心したのはそれまで一切の鎌掛けを無視していたホリエモンこと堀江氏が、小声で「旦那がいるんですよ」「いや、子供もいるんですけど」と楽しげにフォローしていたところだったのでした。
んー。実にいい人だ。
放送作家的に考えてもこれ以上のフォローはちょっと考え付かない。真面目になにか言ったとしても角が立つしね。茶化してしまっても同じだし。
で、さらにさらにもっと面白くて腹を抱えて笑ってしまったのが、その後にあった
「あんた、鍵を作るといいわよ」
というサジェスチョンのほうだったのです。
わかりづらそうだからこれまた図解してみますか。
つまり
- 立ち位置としての自分(専門知識はない)を確立する:支点の確定
- 相手の業界の行く末の大雑把な方向を下調べしておく
- 手近な話題で、それでいて大雑把な方向にあった意味合いの託宣をする:力点
- 相手の業界についても当然当たる:作用点
よく考えてみれば取材できる範囲の話なのにも関わらずプレゼンテーションの魔術というヤツですんなりとだまされてしまう。
これが普通の人だったら、ネット関連の人間(自分)を相手に「鍵を作れ」とかいったら(言われたら)、「あーセキュアなシステムを作るってことを言ってるのかな?」「そういえばベリサインという会社がありましてね…」などと話をあわせてしまいまんまと罠にかかるだろう所をあっさりと躱した、まさにその瞬間のすんごーく物足りなさそうな細木数子の顔が大笑いのポイントだったのでした。
いやーこれには笑った。
投稿者 KQZ : 12:15 | コメント (6) | トラックバック
2005年07月16日
直感的インターフェイスデザインの「直感」って?
大学でデザイン教育を受けてきた立場から見ると、下手なデザイナーが直感という名のもとにあまり考えもせずにひりだしてきたデザインが許せなかったりします。
独りよがりの直感だからです。
そんなこんなで面白そうなことを書いているblogがあるなぁ、ということで反応してみるです。
しかし今の今は岡村靖幸の逮捕のほうが気がかりではあるのですがまぁそれはそれとしまして。
さて、shi3zさんは
良いデザインというのは「直感的」であるものだと思います。
「直感的」とは、人間が経験してきた様々な経験の蓄積から、あるパターンを見た時に瞬時にその結果が予想でき、またそれが実際にそのように作動するということです。
とおっしゃり、中嶋さんのblogではもう少し詳しく、
人間は、物が重力によって下に落ちるとか、丸いものはころがるとか、
沸騰してる液体は触ると熱いとか、細い糸はもつれるとか、
薄いものは破れやすいとか、重心の高いものは倒れやすいとか、
冷たいものはぬるくなるとか、息をしないと苦しいとか、
つぶつぶは拾えるとか、炎は上に燃え広がるとか、
だるまはなかなか倒れないとか、
積み木は揺れると崩れるとか、氷の上はすべるとか、
水に濡れると冷たいとか、遠くの音は遅れて小さく聞こえるとか、
腕はある角度以上曲がらないとか、固いものは落ちたら壊れるとか、
ドミノ倒しの原理とか、空洞のものは水に浮くとか、
尖ったものに触ると痛いとか、ねじったものは戻るとか、
細いものを立てると倒れるとか、重いものはなかなか止まらないとか、
そういった物理現象に対する基本的な感覚を、誰に教わるともなく、
幼少のころまでに完璧に学ぶ。さらに、視覚的な情報だけしかなくても、
このような物理現象が起きることを予想し、
それに非常に速く反応することができる。
とそれぞれおっしゃっていますが、以下はそれらについての雑感になります。
といいますかカンタンに言ってしまっている「直感」は誰の「直感」なのか、ということを考えるとなかなかに奥深いと思うのですよ。
例えば人間と比べて10の100乗くらい大きな生物がいたとしたら、窒素ベースの生物がいたとしたら、その直感はきっとわれわれのものとまったく違うだろうに… とかですね。
そんなSFまがいのことを持ち出すまでもなく、(前にも書いた覚えもありますが)おそらく文化圏が異なるだけでずいぶんと「直感」で認識される幅が違うはずなのですから。
ここで話がちょっと飛びます。
さて、大量の情報を操作するときに一番直感的に動かしやすいのは、現状では本のメタファーであることは疑いようがありません。少なくとも僕にとっては、です。
Webサイトでタブを使っているところなどを見ても、いわゆる一般的に「使いやすい」といわれている情報操作系のインターフェイスデザインは本のデザインシステムを踏襲しているはずです。
もう少し例をあげてみると、 「←」 「→」 とアイコンが並んであれば普通は 「戻る」 「進む」 と読み取るでしょう。
でもなんででしょうかね?
この例であげたように、情報の流れや時間の流れが左から右であらわされることが多いのは、人類に右利きが多いことと関係がないとは思えません。直線を引くときには骨格的に左から右へと引いてしまう、そのベクトルが関与している方が多いのではと思うのです。ページをめくる動作もそうでしょう。(魚や動物を書くときにはなんとなく左を向けてしまう、というわけですな)
んで話を戻します。
ことインターフェイスデザインに関して言えば、物理現象というよりは動物である人間の種としての規定、文化的な規定に関係しているのではないか、と思っているのです。
もちろん、いわゆる「常識」を紡ぎだすにいたるのには、さまざまな物理現象を目の当たりにしてきた経験の積み重ねが必要であることには異論はないのですが、僕ら制作者サイドの立場からしてみればむしろその物理現象を捉えるフィルターであるところの人間の動物としての枠組みの方に大きく関係していると考えねばならないのではと思うのです。
幅ったい書き方で繰り返すと、上で「物理現象」と書かれているものは「人間という動物種のうち特定の個人およびその属するグループが認知できる範囲の物理現象」でしかないということです。
なんとなれば、色弱の方の例を挙げるまでもなく可視光線の波長範囲だって聴覚可聴範囲だって個々人でかなり違います。誰でも80歳を過ぎれば歩いていける範囲も狭まりますしマウスの可動スピードもクリックスピードも動体視力も変わってきます。右利きと左利きとでは平均余命も違うという統計もでていることですし、同じ物理現象から受け取る情報にしてもそれなりの差があるでしょう。
こういった差異があるにもかかわらず、下手なデザイナーは自らの規定するフィルターで通過させて理解した「my常識」に過ぎないものを疑いもせず「物理的事実」だと考えてしまい、子供やお年寄りや身体障害者やとりもなおさず多くのバラエティあふれる消費者にとって使いづらいデザインを作ってしまうわけです。
もっとも、文字を右から左に書く言語体系を持つ人々がどのような「常識」で世界を捉えているのかなどはちょっと僕には想像つかないので教えていただきたいのではありますが。
さてさて。
これら云わば「文化的・属個人的常識」であっても「物理的事実」と密接に関係していることも理解しています。
例えば、言語学的に上下方向の高さの度合い=高低を表す言葉と温度の度合い=高低を表す言葉が同じことが多いのは比重が関係しているのかもしれません。
またその中間としては、グラフなどを描くときに下から上に行くにしたがって数が多くなっていくのは「成長」というタイムスケールのちょっと長い生物的動作の表れかもしれませんし、純粋に結晶というか析出していくときに物の嵩が増えていく際、鍾乳洞のようなものが下敷きとしてあったのかも知れません。
(ここでなんだか話が飛びすぎていることに気づいた自分がいる)
翻って。
ではなぜゲームのインタフェイスが「よくできている」と評されることが多いのかということを考えてみたりして。
これについてはいまさらカイヨワなんぞを引くつもりもありませんが、恐らくは「ゲームはそれ自体やりたくてやっている動作だから」ではないかと睨んでいるのです。インターフェイスと内容が密にリンクしているという意味です。
一方で、電話を使うときや炊飯器のスイッチを入れる操作をするときには、「喋りたい」「米を炊きたい」が主にやりたい動作であり、「ボタンをプッシュしたい」と切望している人はまずもっていないでしょう。本質的に内容とリンクしてないですし。
ここら辺の話は20代前半の頃、同じ建築を学ぶ学生でありCLUBKING周辺にいて親しかった鄭秀和くんとデザインやら音楽やらについて熱く青く話していたのですが、鄭君はその思いを10年以上持ち続け、いまではatehakaとかamadanaといったデザイン家電をも手がけている気鋭のデザイナーとなっています。
ですからリモコンや炊飯器を出してきたときには思わずにやりとした次第。
彼はきっと「計算なんかよりボタンをたたいているだけで無性に楽しくなる電卓」を作りたかったデザイナーなのでしょう。TIにもきっといたと思うけどもね。
→atehakaの家電など
→amadanaのキッチン用品など
こう考えていくと、クルマやバイクのデザインに素晴らしいものが多く散見されるというのには、ゲームと同じく「操作するだけで楽しい」というそれ自体の性質が関係しているのかもしれませんね。Macintoshのファインダーもそうかもしれませんが。
- 雑感1
- そういえば数年前に小西康陽さんの個人事務所のサイトデザイン用にNendographixxxのANIさんとモリサワジュンさんと組んで「平面的なタブ構成による情報切り替えではなく画面の奥へ奥へと進んでいくデザイン」というのを考えて出したことがありますが、あまりに斬新過ぎたからかボツを食らったこともありましたっけ。あまりに逸脱しすぎてもダメってことですな。
- 雑感2
- 先週だかに中嶋さんに「気持ちよく幾何の操作ができるインターフェイスがDSでできないか」とか話しましたが、同じようなことを考えているやつらがPalo Altoにいやがりました。→http://www.tactiva.com/ かっちょいー。まさに操作するだけで楽しそう。10年以上前にHyperCardでしこしこと作っていたものを引っ張り出したくなってきましたわさ。
投稿者 KQZ : 12:28 | コメント (3) | トラックバック
2005年06月24日
金曜日の気怠さとエラー処理なんかのお話し
金曜日が気怠いのはきっと朝見てしまった藤吉久美子の無駄に媚びたテンションの高さだと思う昼下がり。
ナンシー関関も草葉の蔭で消しゴム彫りくさっているだろうて。ルイルイ。
さてコールドリーディングのお話がshi3zさんのところで出てくるとはおもわなんだということでまたもトラックバック。
なんだか仲良しさんみたいで変ですのぉ。すぐご近所なのにまだオフィスにも遊びにいったこともないのではありますが。
- ちなみにshi3zさんのところからいらっしゃった読者さんの方が、切込隊長関連の2ちゃんねるスレッドからのそれよりも5倍以上多いのでした。日数も短いのに関わらず。
そろそろ「2ちゃんねるをも超えた社長のblog」とかにしてみたらいかがでしょー。
さて本題に。
以前マイクデバイスを使ったPS2用ゲームのシナリオを書いたことがあるのですよ。
『デカボイス』というゲームで、まさに会話の中身はコールドリーディング的な人工無脳というかなんというかを志向しておりました。
- しかし振り返ってみると、i-mode、ボイスコントローラー、EyeToy… と、どうも新デバイスが出るたびに企画に駆り出されているなぁ。アーティスト契約してからだけでもこんなに。
新デバイス物は評価は高くても売れないことが多いからそこらへんは何とかしてくださーい。>M木さん@SCE
さてさて「コールドリーディングってなに?」という向きには件の『一瞬で信じこませる話術コールドリーディング』を読んでもらうとして、「どんな会話にも対応できそうな受け答えの仕方」というのにはかなり悩んだのでした。
あぁ、あの時こういった本があればもっと楽だったのに…
もっと硬い心理学や論理学の本なんかで若干あったくらいだったかなぁ。あといんちき占いの本とか。(見つけ次第リンクしますが)
さて具体的な話に戻しますと、音声入力デバイスをゲームに実装する場合には認識精度の問題で、「認識できなかった場合のエラー処理」というのがどうしても多いのですよ。
メモリも限られたPS2だし安手のマイクだしね。ハードディスクも無いから認識学習もできないし。
そしてこのエラー処理をしくじると、遊び手はものすごーく敏感に反応するのです。
最悪の場合、しらけてしまってやってくれなくなるのです。
デカボイスはプレイヤー扮する現場の刑事と本部にいる刑事とが無線でやりとりするという設定のゲームだったのですが、プレイヤーのセリフが聞き取れないときのエラー処理をそれとなく&本部の刑事のキャラクターやシチュエーションにあわせて
「なに? 聞き取れないぞ」「もう一度言ってみてくれ」「落ち着いてゆっくり話すんだ」「なんだって?」「冷静になってもう一回頼む」「すまん、聞き漏らした。もう一度言ってみてくれ」「信じられない… もう一度聞いてもいいか?」…
とかとか、数十のバリエーションは用意したでしょうか。
ここらへんは『シーマン』あたりだとぶっきらぼうで性格の悪いキャラクターにすることにして回避&ゲーム性に昇華しているのでしょうし、『どこでもいっしょ』のトロだと「人間世界に慣れていないちょっと足りない(でもそこがかわいい)子猫」というかわいらしいキャラクターづけでそれを行っているのでしょう。デカボイスでは刑事という設定から、とてもまじめで真摯なやり方をせざるを得なかったというわけです。しかしこういうところで作り手の性格も透けて見えますなぁ、というのはここではどうでもいい話として。(判る人だけわかればよろしいw)
さて今度は一般のゲームの話にしてみますか。
NPCの台詞回しにしろGMのしゃべり方にしろ、遊び手の時間にインタラプトする際には細心の注意を払わねばならないのです。
これはファミレスなどの他のサービス業種でも一緒だと思いますが、お客様から呼ばれたときに「どうしましたか?」というのはちょっとよろしくないのですね。どうかしたから呼んでいるのだから。どうかしてなかったら楽しく遊んでるってことに気づかなければいけないというわけで。んで、「なにか不具合でもありましたか?」はそれなりによかったりするわけですがそれ以上はまた今度にでも。だって時間が無いんですもの。
そそくさとまとめると、エラー処理というか、不具合があったときの対応次第でグッドウィルが獲得できるかできないかは決まり、そのためには心理学とかは勉強せねばならないのだよなぁ、という当たり前のお話となるのでした。
そうそう。
ちなみに人工無脳といいますと、CD-ROMブーム華やかりし頃、エロCD-ROMなのにその時代としてはかなり良くできた人工無脳を搭載したということで関西ローカルのテレビ番組「大人の絵本」に出演して水玉れっぷう隊を素人の癖に食っていたこばんさんという大先達がいらっしゃいます。
僕らはみんな、こばん先生の手のひらの上で踊っている、ってことなんだよね。
チャットしながらじゃ●ナニーできないってーの、とかいう根本的なところが間違っているところもこばん先生らしいですが。
投稿者 KQZ : 12:57 | コメント (2) | トラックバック
2005年06月21日
本の選定などしてみたり
とりあえずネタ備忘録。
専門学校は基本的に実学志向なので(違うの? よく知らないんだけど)ガシガシの理論なんかよりHow Toの方がいいような気もするのではありますが、少なくとも基本のキくらいは押さえておかないと会話にすらならないのではないか、ということで関連の授業用の底本をピックアップしてみたりして。
しかし悩みどころなのはどのくらいのレベルのものならいいのか、という点。
恐らくスタニスラフスキイシステムとかは意味ないのかなぁ、とかいうのはうっすらと判ってはいるのだが…。「読んどけ」だけじゃすまなそうだし(つか危険か)ちゃんとやってったら一年かかりそうだし。
はてさてどこら辺を基準にしていいのやら良く判らんですたい。
まずは定番の「アイデアのつくり方」か。
おまじない代わりというか気休めの意味でもこれくらいは押さえておかないとアレですか。
実学というか評価システムとしてだったら「ハリウッド・リライティング・バイブル」あたりはとりあえず押さえておいてもらうか。良しにつけ悪しきにつけ「商売になる」ためのひとつの目線ではあるし。
別にこちとらアーティスト育てるわけじゃないわけではないのです、と言うことで。それに特別講師だし。
個人的には「物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室」あたりも押さえておきたかったりするけど、ちょっと冗長なところがあるしおいておくか。
あと判りやすいところでいうと、大塚英志著「物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン」とかか…。
毀誉褒貶の激しい作者さんのようですが(会ったことないから真偽のほどは知らないけど)、これも浅く読むとかぁるく誤解してしまいそうだしちょっと心配。
んでカード式のシナリオ展開システムとかいうんだったら、むしろ易経とかタロットカードとかの各配置による意味の生成システムをしっかり読み込んだ方がずっと勉強になると思うし。(ちなみに占いなんてする必要は皆無。読みこむだけでO.K. なにせ数千年もの間、人の世の森羅万象を限られたビット数の中に読み出だそうとしてきた強固なシステムなのだ。行きつ戻りつ流れ縷々たゆたう意味の駆け引きはよーく読んでいくだけでも面白いわけで)
タロット関係だったら「ユングとタロット―元型の旅」くらいかな? ちょっと高いか。あまりやりすぎると本末転倒になっちゃうしにぃ。(昔話や世界の神話の元型とかいう領域に迷い込むと楽しすぎるので帰って来れなくなりそう)
それと「キャラクター塾」とか「劇画村塾」で有名な小池一夫さんの「キャラクターはこう活かす!―スーパーキャラクターを創ろう」も押さえてはおきたいけれど、同じように誤解されがちですしにぃ。
「裸の女が銀座の町を歩いている…」とか前知識も無くいきなり読んだらビックリするだろうけど、それもまた見てみたい気もしたりして。
ま、思いつくままにこんなとこかな。
テキトーに追記していこうっと。
投稿者 KQZ : 19:19 | コメント (2) | トラックバック
2005年04月07日
どうでもいい世界のどうでもいい世襲とか
世を襲うと書いて世襲なわけだがテレビを見てて気づいたお話。
昨日だか一昨日の朝方、花まるマーケットを横目で見ていたら「味噌にんにくペースト」とかいうのが紹介されていたのだ。で、それを教えているのが栗原心平だとかいう男性料理研究家。
ローストしたにんにくと味噌を合わせただけの極く普通のシロモノに見えたのだが「万能ペースト」とかいうご大層なネーミングに「むむ?」と思っていたらば、周囲が妙に「サスガ」などという単語で修飾していたのが聞いて取れた。
どうやら彼は栗原はるみの息子なのだという。
まてよ、この構図は… と思い出すまでもなく頭に浮かんだのは二丁目で売ってそうな帽子がよくお似合いの料理研究家のケンタロウが出てきたての頃のこと。
あの時も「なんか妙だなぁ」と思っていたら小林カツヨの息子だったわけですよ。びみょー。
そう考えてみると料理研究家ってのは世襲が多い。
土井勝とその息子に至っては番組の枠ごと世襲してたんだよなぁ。「きょうの料理」だったっけか?
あと花まるにもよく出てくる太ったおばちゃん先生も母親が料理研究家だとかいうし、Google先生に聞いてみたら辰巳芳子&辰巳浜子とかいう人もいるみたい。
お、もちっとぐぐったら太ったおばちゃん先生は堀江さんというらしく、「泰子さん、ひろ子さん、さわこさんと親子三代で料理研究家」なのだそうな。
なんかヘンなの。
もしかしてこれだけ世襲が多いとなると、料理研究家ってのはすごく美味しい商売だったりするのかな?(と、美人カメラマンの武井さんとか美人編集者の糸田さん@柴田書店とかに聞いてみたりして)
Jなんとかっていうあんまり美味しくなさそうなキムチ料理を紹介してる痩せこけたお兄ちゃんももしかしたら世襲? 調べてもないけど。餃子の皮でキムチビザとか作られましても美味そうでもないし全然目新しくもないわけで彼の存在意義が分からんのだよお兄さんには。韓流? ケッ。
ときに。
金田一京助の孫にして同時に金田一春彦の息子でもある金田一秀穂さんという学者さんが近ごろやたらとバラエティ番組に出てくるのだが、あの人の学術的な評価というのは如何なものなんだろう。
いや、見た目や立ち振る舞いにインパクトがありすぎるくらいにあるので既にタレントとしてはO.K.なのだが、カテゴリーというか立ち位置としては屋号としての金田一からして「日本語のオーソリティー」的な見え方がどうしてもついて回るので気になってしまうのだ。
これまでに見聞きした番組で取り上げられていた部分で気になったところはというと、
『目上の人に対しての正しい謝り方は「すぃ〜」と息を吸い込み言葉を濁す』だとか
『首相、あの、醤油を…(言葉を濁す)』などなど、どうにも腑に落ちないものばかりで、もしかして金田一秀穂流(と思われる)の解釈をことさらに取り上げられているように見えるのだ。
しかし、だ。そういう解釈が罷り通るなら
『目上の人に対しては恐縮している気持ちを表すためにわざと間違った敬語を使うとよいでしょう。「おやおやキミキミそんなに緊張しなくても…(笑)」と好感を持ってもらえるチャンスです。また右手と右足を同時に出すなどするとさらに効果的ですNe!』
とかいう適当な珍説だってあながち間違っているといわせないぜべいべー。
もとい。
このような解釈は確かに面白いかもしれないが、キチンと議論が詰められた説なのかどうかはバラエティ番組という枠組みの中では残念ながら見えてこない。つまり子供たちは少なくともこれを正しいと思ってしまうのではないのかなぁ。
というかさ、「すぃ〜」って言葉を濁すのって国語の問題じゃなくて処世術じゃねーの?
ま、いいや。
別に世襲がいい悪いという短絡的な話ではないのだが、なんだか世間に世襲が多くなってきているような気がしてならない、てな話に移行。
近代知もとい金田一家の場合には蔵書漢籍文献の類からしてスタートが違うのだろうし、象牙の塔の中の人同士の確執はうかがい知れないのではあるが、秀穂氏の周囲には「親の七光りだよ」と揶揄する人がいるような気がする。あくまでも気がするだけだが、そろそろ助手から助教授、その上になってきている同期のやつらの話を聞く限りは3代続けて教授というのは生半にできるものではないと容易に推測できるのだな。
世襲とはいっても体を使う稼業、たとえばハンマー室伏なんかの場合には図体のよさは分かりやすく遺伝だろう。が、コーチが自前で(つか自宅に)いるのでこれまた他の有力選手からしたら「そりゃ卑怯だよ」とか言われているかもしれない。しかしこれは投擲競技自体のマイナーさからして大いなるプラスだということで世間的には認知されているのだと思われる。というか認知してます。がんばれ。しかし始球式で普通に130km/h出したのには笑った。
んで、政治家にいたってはどこを見渡しても世襲政治家ばかりでおよそ一般的な雇われ人が抱くような常識があるとは考えられない。これも真剣に政治家を目指しているような輩からすると「そりゃ卑怯だよ」と思うのかもしれない。もっとも、さらに真剣な奴らは国家公務員になって地方の政治家の娘と結婚したりするのでパスが無いわけではないが深くは語らず。
逆にたとえば間口の狭い伝統芸能みたいな「誰か継いでやれよ」的な業界で世襲があるというのはそれなりに期待が持たれる部分だ。江戸家猫八小猫とかそこらへん。(でもスタッフに「俺はゲームに詳しい」と自称するだけでなく「こうしたほうが売れる」とか言うのはやめていただきたいものだ。こっちだってウグイスの物まねはこうした方がいいとか言わないんだからさ) これが同じ伝統芸能でも歌舞伎くらい人気稼業になると笑也問題とかもあるように世襲の功罪は関与したくもないくらいめんどくさかったりする。松竹がアレする前まではアレだったんだけどもさ。他にも狂言なんかでも大学まであまり練習してなかったので声がつぶれてる某氏を軸に三代総がかりで先代が夭折した本家本元を乗っ取ろうとしたりするし。
他の世襲の話はというと、一番はじめの著作にあった幾つかの平面図が裏焼きで「どうやったら風水判断できるの?」と建築業界で大評判だったドクターコパとドーターコパの場合には八万円の風水靴下とかが売れる顧客リストを世襲しているのかもしれない。(名取パパとか) ところで「なんとかの宮」とか自称して神社作ったみたいだけどそれもどうなのかしらん。出雲大社にお酒奉納してたのは確認したけど神社本庁からは相手にされてないみたいだし。ま、いっか。世襲ではなく簒奪でいうと日本に来る飛行機の中で日本語を一生懸命覚えたという細木某の例もあるがそれはまた別のお話。
マツケンサンバIIの作曲の宮川彬良は宮川泰の息子で、服部良一・服部克久・服部隆之も三代続けてテレビ作曲家だったりもするがあまり面識がないので「へー、そー」としか言いようがない。
ところで金持ちの世襲というのもかなり辛そうではある。仕事もせずに世界中をぶらぶらしたほうが相続税が安いなどと辛そうにいろんな国を流浪している友人がいたり、曾爺ちゃんに鉄道王と呼ばれる傑物を持ちその財産のごく一部分(だが膨大)をある意味世襲している友人などは何もさせてもらえずに10年も前に振られた女に思いをはせて本を読んでいたりする。何もしなくても生きていけるという状況は新しい事柄を始める契機すらを与えてはくれないわけで、全ての人が自分で自分の背中を押す強さを持たないのであるなら、「仕事をしなければ飢え死にしてしまう」とかいう生物としての危機感が浮世の憂さを一時強制的に忘れさせてくれるのかもしれない、などと思っても見ない結論を書いてみる自分に驚いても見る。願わくばその引き伸ばされた苦悩が芸術方面などで昇華されんことを。しかし分かりづらい文章だ。金持ちは世襲するが童貞は世襲しないので安心とだけ書いておこう。
で、結論として何が言いたいかというと吹石一恵は吹石徳一の娘だがプラチナ・ラインのCFでちゃんとチェックボックスを左手でチェックしてるのでえらいということだ。
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投稿者 KQZ : 18:24 | コメント (4) | トラックバック
2005年04月01日
言葉にならない気持ちとメタな言葉
テレビCFの話。(なんか長井秀和みたいな書き出しだなー)
なんだか気になるCFがときどきある。
今は「レモン青汁」がそれだ。
サイトで確認すると「早く飲みたい篇」というやつらしい。
http://www.greenhouse-e.com/cm.html
なにが気になるのかというと概略を説明せねばなるまい。
財前直美扮する女性上司が部下を送り出しつつ青汁を飲もうとしている。
飲む寸前になると部下が挨拶をしていくのでなかなか飲めない。
「頼むよ飲ませてくださいよ」というのがオチなのだが、
気になって仕方がないのがその後の部下の男の表情なのだ。
姉に対する弟のような、じゃれついているというか、小バカにしているというか、なんとも薄気味の悪い、それでいて嫌味の感じられない微妙な表情をしているのだ。
元々CFを作る側に長いこといたので、この微妙さ加減をどう演出して、どう演技指導したのか、とてもとても気になってしまうのだ。
その前にどう思いついたのだろうか。
現場で色々とやらせてみて編集室であーだこーだとセレクトして… というのが考えられる線だとは思うのだが、こういう引っかかり方というのはしてやられた感が非常に強い。
2〜3年前のアイフルのお姉さんの絶妙な非・美人加減(not美人、というわけではないのであえて「不美人」という使用されがちなワーディングを忌避しております)もCF制作者連中の間では「あー、そこ来たぁ? してやられた…」と話題になっていたが、それに近い感覚なのだ。
数行前に自分で書いた「なんとも薄気味の悪い」居心地の悪さというのは、言葉にすることができない表情を見せつけられたときに自分の脳内で把握する(mappingしてある)場所がないからなのだと、ふと、思った。
- (そしてこの読点の微妙な打ち方は読者に対する微妙さを体感してもらおうと思ってわざと普通と違ったうち方をしているわけです。なんかメタな解説でやだなー。構造化したいよね、こういうのって。javaで折りたたむか?)
さて、ちょっと話を変えてみる。
MMORPGなどでは感情表現のコマンドが用意されていることが多い。
emoteコマンドといわれるやつだ。
/wave と打ち込むとキャラクターが手を振ったりするのが一般的だが、近頃は非常に豊富なエモートコマンドが用意されていることが多く、同じ笑うでも /smile だけではなく /cackle(甲高く笑う) /chuckle(含み笑い) /giggle(忍び笑いをする) /snicker(ほくそえむ) などがあったりもする。中には /violin などでバイオリンを弾くまねをしたりするのだ。どういうところで使うのかはよくわからんが。
これらはゲーム開発者が意図して作った感情表現であり、プレイヤーはそれらを「コマンド」として動きとその意味するところを一旦認識・把握してから、そのときの自分の感情にあわせて「コマンド」をコマンド群から選択し、分身であるキャラクターに「コマンド」を打ち込んで感情を表現しているのだ。
もったいぶった書き方に見えるかもしれないが注意して欲しい。
逆にいえば、用意された範囲でしか感情表現ができない(ように見える)ということなのだな。
- (ように見える、と書いたのは、開発者側が意図していない使い方をしてプレイヤー側が勝手に遊ぶことも多いからなのだな。エモートコマンドを続けて打ちこんだりしてあたかもラジオ体操をしているように見せたりもできるしぃ)
話を元に戻す。
僕らは言葉に規定された枠の中で感情を表現してはいないだろうか。
言葉にならない気持ちは「元々から無かったもの」として扱われてはいないだろうか。
よく「アメリカ英語には肩こりという言葉がないからアメリカ人は肩が凝らない」と言われる。
その対極(対偶の真)には『言霊』という「言葉を発することにより実効を伴う」という考え方も存在する。
さて。
話をまたもすっ飛ばす。
こうしてblogを書いている僕はというと、HTMLの記述の範囲内で自分の現したい言葉の置き方を模索しつつ打ち込んでいる。(たとえばULタグを使ってちょっとインテンドさせたりね)
本当は「打ち込む」という言葉ではなく「Design」という言葉に近しいはずなのだが、それはまた別のお話。
HTMLに対してXMLという言語体系があるが(cssでもいいけど)、タグ自身のあり方を記述していくように、エモートコマンドも自分でキャラクターの動きを細かく記述しておくことも可能になるのかもしれない。(いや技術的には今すぐにでも可能だが面倒くささとのトレードオフからして無理)
仲間内だけでの符牒をつくりそれを使うことによる親近感の増大や情報伝達速度および強度の飛躍的な増大は広く知られるところだが、新しい体系による言葉の発明にはそういった可能性がいつでも潜んでいるのではあるまいか。
さて、話が元に戻る時間だ。(眠いからなのだが)
しかししかし。
「言葉」自身をも記述していくことはいつでも誰にとってでも可能なことなんだろうか。
文字本来の意味を無視した使われ方としてのAA(アスキーアート)というものは古くから存在する。
「七瀬再び」で筒井康隆がやったタイポグラフィーの遊び方や、見立てという形であればネット以前からもあるし、表意文字の成り立ちからすれば(近くは国字とかもね)それこそ数千年前から存在する、いわば人間の本性にその機能はあると言えるだろう。
- (しかしamazonは便利だのぉ。本やCDの画像を取れるだけでなく残像に口紅をの抄訳とか自分で書かなくてもリンクを踏めば分かってもらえるわけで。ここら辺もアレかな。↓以下続く)
新しい定義の発明、もしくはそのものに対して意図されていなかった新しい使い方を発明することによる感覚の拡張(enhanced)がクリエイティブのひとつの柱なのかもしれない。(少なくとも僕にはそう思える)
そしてそれは動物ならぬ人間が人間たる所以なのかと。
テレビ番組の世界でもそう。別にタレント同士が自腹で豪勢な食事を奢ろう奢るまいがが、冷静に考えてみればそんなものはどうでもいいことなのだが、結果的にくだらんじゃんけん程度のミニゲームでも視聴者の目は確実に止まってしまう。これも一つの視聴態度への拡張の働きかけだろう。こんなテレビのあり方を発明したヤツはエライ。NG集だけで番組一本作った最初のヤツもエライ。どれも30年前にはだれも考えつかなかったシステムだからだ。
こうやって考えていけばネットとラジオの融合番組のシステムにしたって、いくつかの雛形はぽんぽこぽんぽんと出てくるって寸法だ。まだ誰も成功してはいないみたいだけどやりはじめりゃすぐだろうて。CLUBKING.COMの初代おしかけ編集長をやっていた時に桑原茂一さんに「Just 10 click journey」という企画を出したことがあるが、ちょうどあんな感じ。Talentedなクリエイターが同じサイトから10クリックだけの短い旅をする、すると人それぞれ全く違う所にたどり着く、たったそれだけでも話ながらやっていると面白くて仕方がないのだ。ま、当時はネット使ってる人口が今の100分の1だったから企画は結実しなかったけれども。
大体さぁ、ラジオが移動体向けだってこと忘れてるヤツが大過ぎないかぃ…(以下略)
しかし朝の時間に見かけるCMの一秒にも満たない微妙な表情に引っかかってしまいココまで長文を書いてしまったのはちょっとやるせないのではあるが。
しかしてその実態はというと、このエントリーはコメンドクサイ長文(しかもオチも感慨もなし)を書くことによって読者数を減らそうという作者の意図でもあるのだな。
ま、上述したとおりに意図は外すものでつまるところ読み方は色々あるので、上の一文を取り上げて「格闘ゲームのガードキャンセルなんてのも製作者の意図とはずした使い方で近いよねん」とか「つくりこまれた破綻という視点という意味ではゲームの裏技って後期のものはイースターエッグでもなく純粋に楽しみとして作ってたよね」とか「ほりえもんは商法が記述していたはずの制限を新たに拡張してみせたクリエイターなのだ」なぁんて読み替えることだって不可能ではないのだ。傾奇者つか。
やはりオチなし。
ただ言えることってのは、筒井康隆は色々と日本語表現をenhanceしてくれてすごいなー、ってことですか。
七瀬ふたたび | 家族八景 | エディプスの恋人 | 残像に口紅を |
投稿者 KQZ : 00:14 | コメント (3) | トラックバック
2004年09月21日
韓国での変な写真など
なぜか偶然近いところですれ違うことの多いshi3zさんも同時期に韓国に行ってらした様子。
で、彼の国で適当に取った写真を並べてみたりして。
「韓国の原宿・青山」と呼ばれているらしいファッション系のオシャレな繁華街のブティックで、トロチチさんのところのトロと、八谷さんのところのモモが仲良くバッグになって店頭に並んでいました。
この二人を選ぶということは、もしかしたら佐賀県にゆかりのあるお店なのでしょうか。
よく分かりませんが写真を撮ろうとしていたら店の人がすごい勢いで怒りながら出てきました。
著作権とかに厳しいのかもしれません。よくわかりませんが。
また、コンビニでは「アミノアップ」というジュースがありました。
携帯電話に付属のカメラで写真を撮ってみたのですが、どう見ても「アミノサプリ」にそっくりなようです。
どこのコンビニでも見かけたのでよく売れているみたいです。しかしよく似てますね…。
「amino」と「Supli」のフォントファミリーの組み合わせが絶妙です。注意して見ると、「amino」は若干長体がかっていてごまかしの芸をホンの少し感じますが、「up」に関しては「アミノサプリ(KIRIN)」の方から「S」と「li」を抜いてみるとほぼ重なってしまいそうです。注意力が二行目まで持たなかったのでしょうか。マークの方のボール部分にグラデが入って立体的なところなども要チェックです。全体の配色は言わずもがなですし。
で東京に戻ってからちょっと検索してみたところ、もっときちんとした比較ページも発見しました。
『アミノサプリ』と『アミノアップ』の比較
http://olos.hp.infoseek.co.jp/monologue/2004/200408/korea/supliup/supliup.html
まぁ「人形をしたマークが若干違う」と言おうと思えば言えますが、これはこれで「特定保健用食品」(トクホ)のマークにうり二つだったりします。
財団法人 日本健康・栄養食品協会
「特定保健用食品とは 」
http://www.jhnfa.org/tokuho.html
これら全てを偽物と非難してしまうのは簡単ではありますが、尊敬するshi3z大社長も韓国の方から
「偽ポッキーだ」とつぶやくと、同伴している通訳兼営業のS女史が、「なんでも韓国のものが偽者と決め付けるのはよくないですよ」と言うので、朝買った「ロングセラー商品誕生物語」を見せました。
このようにたしなめられたそうですから身の危険が危ないかもしれないのでこの辺にしておきます。
なんか剣道も韓国が本家で日本がそれをマネしたとか言ってるらしいので相手しないほうが得策かと。
投稿者 KQZ : 11:53 | コメント (2) | トラックバック
2004年09月13日
御近所和食:赤坂「菊乃井」
近所でなんだか工事してるなぁと思っていたら看板に「菊乃井」と出ていたので、オープン前にも関わらず先週ずんずんと入っていって女将さんに名刺をいただいておいたのだった。
でもって今日いってみる事にー。
ついこないだまでコインパーキングだった場所にどーんとながーい敷石の道ができていた。左右には開店花がずらり。
店に入ると8メートルあるという白木のカウンターの中にデリ×デリキッチンでお馴染み、ご主人の村田さんの顔があった。
しかし他のお客さんの年齢層がきわめて高い。30代はわしらだけですわぃな。京都のお店の常連さんみたいだしぃ。当然御主人はそっちにかかりっきり。まぁそれはいいとして。後から一人でやってきた初老の男性などは、カウンターの一番はじに陣取っていきなりボトルでシャンパンを開け(一人だ、一人)、やにわにスッポンの丸鍋のみをオーダー。なんだかよくわからんがこれもアリなんだわな。
僕らは初めての店なので一番お安い15,000円のコースにしてみた。
お料理はくるみ豆腐の山葵餡掛けから始まって全10品。どれもこれもおいしい。マグロのお刺身なんかはコース別に産地が違うようだが、そっちのほうが原価かかりそうだなぁ、なんて思ったりもしたりして。刺身はともかくも、手のかかった料理、特にお出汁や味付けは本当によかった。カマス寿司、鱧の焼き〆、餅米でくるんだ鱧を揚げたものと松茸のお吸い物、杉板に挟んだ幽奄焼き…、特にどのお料理も塩の使い方がいい感じのアクセントとなっていて、これはやはり東京ということを意識したのかなぁ。最後は土鍋で炊いた栗と鶏の炊き込みご飯でしめ。これまた旨い。
お酒はやはり良くある京都の割烹といった感じのお酒しかない。悩んでも仕方ないので店名と同じ菊の井をいただく。お、竹筒型の錫チロリに入ってきている。表が銅で中が錫引きでこれまたかっこいい。
だがデザートは「ふーん」って感じ。ま、これは仕方ないかなぁ。
食事のあと2階にしつらえたお茶室を見学させてもらった。
村田さんにお店の門までお見送りいただいて、家の門まで徒歩1分で帰宅。
満腹。
(追記:2004/09/30)
「連絡先を教えてください」との書き込みがありましたので追記します。
営業時間や定休日などは聞いておりませんので悪しからず。(名刺にも書いてないのです)
赤坂 菊乃井
港区赤坂6-13-8
Tel:03-3568-6055
ちなみに日経レストランの菅原編集長がこんなことを書いてらっしゃいます。
http://nr.nikkeibp.co.jp/chiefed/ed040921.html
長く付き合うタイプのお店だと思いますので、迷惑がかかるようでしたらこの追記部分も削除するかも、です。
ま、google casheとかには残るんですけどね。(笑)
投稿者 KQZ : 11:52 | コメント (2) | トラックバック
2004年08月17日
つぶれた酒蔵についての王様の耳はロバの耳
とある酒蔵がつぶれたらしい。
女性が蔵を運営しているという事に加え、彼女が蔵に入るに至った経緯というのがドラマチックでもあり、それなりにメディアでも取り上げられていた蔵元だったのでこれを聞いてショックを受けた人も多いのかもしれない。
でもねぇ…
数年前、この女性の蔵元さんに大声で怒鳴りつけられたことがある。
(聞けば彼女のお母さんもそういう人らしいのだが、その時には知らなかったのでもんのすごくびっくりした)
とある「日本酒を楽しむ会」的なイベントに彼女がゲストの一人として呼ばれていたのだ。
100人を超えるお客さんが利き酒をしているところに一時間くらい遅れて彼女が登場。諸先輩の蔵元さんは既に法被を着てお客さん対応に忙しい。彼女のブースには蔵元さんがいないので、お酒を飲みたいお客さんに対しては近所の蔵の方が交代交代で対応してあげたり、それでも足りない場合には僕ら主催者にやや近い人間が吟醸と普通酒の違いといった当たり障りのないことを説明してみたりして。
ややあって、主催者と挨拶を終えた彼女が自分のブースに登場したんだが、んー、化粧臭いんだよねー。それはそれでいいんだけどもさ。
彼女とは面識が無いわけではなかったので挨拶などしていると、周囲で待ちわびていたお客さんたちが口々に蔵の新製品についてなど和やかに質問をし始めた。色々と取り上げられていたから有名人だったしね。
質問自体は別にごくごく普通の質問だった。たとえば「ラベルに記載されてないけど使用米はなんですか?」とか。そしたら彼女「新潟のお米です」と答えるのみ。
今度は僕も質問したくなり「新潟の米… 近頃は食米で作られることも多いですから、それですかね?」と聞いてみると「新潟は新潟です。そんなこと答えられません!」などと言い切られてしまいその近辺にいた人間は全員ポカーン。
見かねた隣の蔵元さんが「えーっと、○○は五百万石ですね、60%精米の」と関係者用パンフレットを裏返しながら助け舟を出してくれた。ということは秘密にしていたわけではないらしい。もしかしたら自分のところの製品の米を把握してないとか? という疑惑が急浮上。まさか、そんなことはないだろうけど…
別のお客さん同士が「私大吟醸が好きなんですけど、どうしても生酒とかって苦手で…。ほらこのニオイとか」などと話をしている。興味があったので利き酒してみるとわっかりやすい生ひねが入ってしまっている。日本酒という酒のうち「生酒」というカテゴリーが全てそうだと思われるのも困るので「いや、生酒でも本当の絞りたてはもっと美味しいんですけど…。これだったら少しだけお燗して飲んでみたらどうでしょうか?」と蛇の目利き猪口のまま燗用のお湯にどぶ漬けして日なた燗程度にして飲ませてみるとこれは気に入った様子。生ひねは作った人というよりは会場にお酒を運搬した経路の問題なので仕方ないのでこれはこれでいいとして。
バイキングブースがオープンしてお酒のコーナーからお客さんが引けたあとに彼女と世間話をしていると、自分のところの蔵の酒に関しての感想を聞かれた。
正直に利き酒しながら「この△△ですけど、残念ながら生ひねが入っちゃいましたね。今度ちゃんと飲んでみますよ。こっちはちょっと甘めで…香りが立って…酵母は…アルプス系の香りもしましたけど…」などと話していると態度一変の大激怒。
曰く「私は忙しいのにココに来てあげているの。当然ギャラも無しなのよ。そんな文句ばっかりいう人とは話もしたくありません。大体失礼だと思いませんか? 米とか酵母の種類なんて関係ないじゃない。お酒は生きているんです。毎タンクごとに味が違うんです」 …云々かんぬん。
いや、あの、俺らはギャラとか以前にお客さんとしてお金を払って来てるわけで、今言ったことにしても文句というよりかは感想とか質問なんじゃないのかな… それと後半貴女が言ったことめちゃくちゃだし… とかとか言おうとも思ったが、あまりの剣幕になんだか気が抜けてしまって空いた口がふさがらなかったことを覚えている。ひょっとして賛美して欲しかったのに僕らが質問なんてしたからなのか…?
空気を読んだ主催者があわてて駆け寄ってきて僕らを引き剥がし双方に平謝り。
しかし、米や酵母の種類を聞きたがる人は多いと思うぞ。パンフレットには書いてあったみたいだしなぁ。感想を聞いておいてそれはないだろうに… とかとか頭に渦巻いてたんだがとっさのことで空白になってしまっていた。
ともあれ、悪気は無かったのだがなにか態度などで癇に障ってしまったのだろうと思い、帰り際に一応謝ってみたのだが、逆に指を指されて「あなた方の無礼は一生忘れませんから!」などとわめかれてしまった。いや、この会場にいた関係者全員も忘れないだろうともよ、貴女のことは。
(この話の大半は四谷三丁目の某居酒屋の若旦那も一緒だったので興味がある人はそっちでも聞いてみるといいだろう。脚色は一切していないことが分かるはずだ)
そんなことがあって以来、編集者から彼女の蔵について何か書いてくれと言われても全て断ってきていた。僕はちょうちんライターではないし、別の仕事も色々やっていて大抵の編集者よりも収入もある。だから生活のために自分が納得しないものを書く必要もないしな。(これについては音楽ライターをやっているときも同じなのだが) 結果的に自分のライターとしての仕事を少なくしてしまったのかもしれないが、ちょうちん記事を書くよりはよっぽどましだ。
ただ一回だけ、日本酒業界に対して何かのイメージアップに、という観点で彼女が蔵に入るに至る話をコラム的に書いたことはある。が、一言も「美味しい」などといった味については書いたことはない。「途上中」「注目が集まっているだけに期待が…」とか書いてごまかしたんだっけかな。(笑)
とはいえ一般的に彼女の蔵については、自らを酔っ払いだとか規定している有名ちょうちんライターの手による大賛美記事が世の中には出回っているだろう。ちゃんと飲んで書いてるかどうかはしらんがね。(苦笑) 飲んでみて、それで語る、それが健全な(いや普通の)あり方だと思うのだが、自分の友達だからといってこの上も無く誉めちぎるというのはあまり見ていて美しいものではないと思う。
そして。
数ヶ月前、とある蔵元さんと話しているときに彼女の蔵の話になった。その蔵元さんは蔵同士がご近所で、先代先々代からの付き合いもあり後見人的な立場でもあるので、事あるごとに数年前のパーティーでのことを謝ってくれたりもするのだ。
ところがその時に聞いたのは、「○○の蔵だけど、どうやら今年は米を買ってないみたいなんだよ」というお話だった。その地域の蔵元さんはある程度共同でとあるところから酒米を買っているのだが(あー詳しくは書けないけど)、今年(の造り)はどうも米を買っていないようで、つまり今売っている酒はいわゆる『桶買い』というヤツだったのかもしれない、という事なのだ。もちろん全部共同購入しているって事ではないとしても。今回の残念な話を聞いてやはり根は深かったのだなぁ、と思いやるのみ。
趣味だからというか仕事柄からしてというか、沢山の酒蔵さんや杜氏さん、蔵人さんと話したり飲んだりしていると(取材もするが近頃飲んでばっか)、一人たりとも悪い人がいないのがとても心地よい。亡くなってしまったタケダワイナリーの若社長も飲み友達だったけど惚れ惚れするほど楽しくて熱い男だった。
確かにこの10年、全国で酒蔵がものすごい勢いでつぶれている。でも頑張って大きく伸びている蔵もたくさんある。みんな凄く真剣に自分の仕事のことを話してくれるし、飲み手の話も嬉々として聞いてくれる。
彼女の蔵はとても注目度が高いので、単に一軒の蔵がつぶれたというだけではなくてイメージ的にはもっと大きなものになってしまうのだろうとは思う。
でも、ダメなところは変に固執せずに退場して別のことをすればいいと思うのも事実。好きなことを誇りを持ってできないのであれば。家に縛られていやいやする仕事ではない。
まぁ長くなってしまったが、言わんとしたいことはただ一つ。お疲れ様でした、ってこった。
(このエントリーは潰れたと判った時に書いてたんだけどタイミングをはずしてアップしてみたりしてー)