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2006年03月24日
エデュテイメントは実は自分としての裏テーマなのかも?
shi3zさんのところから。
アキバ系!文京区本郷四畳半社長: シリアスゲームとエデュテイメント
http://shi3z.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_2cf8.html
そしてカツ紅さんのところも興味深くリンク。
カツ紅 - シリアスゲームの行く末は。
http://d.hatena.ne.jp/akaiho/20060324/1143189162
学研とスクウェア・エニックスが「シリアルゲーム」なる定義の所謂エデュテイメントタイトルを開発していくというニュースを受けて、
既に「これはシリアスゲームですよ」という看板ひっさげて作る以前から、既にゲームによって「勉強」するという事はあったと。 そういう意味では、この提携は「遅い」とも言える。「やっと」というべきか。
というお話。
MacintoshのHyperCardベース(確か)の歴史ゲームとかを思い出しますねぇ。
戦時中を舞台に、いきなり爆撃があり、逃げる方向を間違えるとゲームオーバーという。
エデュテイメントタイトルといえば、
個人的に一番初めに正規に発売されたゲームソフトをプレゼンするときに、
こんなことを言ったんだったっけなぁ、なんて事を思い出しました。
僕は大学で都市計画を選択しています。
東京の街の出来方というのはものすごく面白いんです。
例えば、古地図をスキャンして時系列に並べていくと、
まるで有精卵に血管が拡がっていくように鉄道が引かれていき、
森や畑が開拓され、海岸が干拓され地形すら変わります。
公害に遊園地が出来、学校が出来、住宅地が出来……
そして戦争があり、ところどころ虫食い状態にはなりますが復興し、
渋滞や公害がおきて……
…こんなに面白いことを何百時間もかけて調べて書いていたとしても、
卒業論文なんて読まれるとしてもたったの5人程度なんです。
よっぽど質が高くても10人に参照されればいいほうでしょう。
かたや、(当時バイトでやってた放送作家業では)
1時間やそこらで書き散らした台本や詞なんて
100万単位の人が見て、笑って、そして覚えてさえくれるんです。
「あれは面白かったねー」って。
この研究を「楽しく遊ばせる」ことによって、何万人にも読んで欲しいんです。
何度も、何度も。
ゲームにしますから、それで卒業論文ってことで提出させてくれませんか?
ああ、あきれるほど青い。
「ゲームを使って教育」とかいう大きな目的なんかではなくて、
「自分が苦労して面白がって作ったものを誰も見てくれないのが悔しい」
「面白く演出するのには自信がある」(放送作家として、だけど)
「どうせならワクワクしながら卒業論文を読んでもらいたい」
などというきわめて自己中心的な青さにめまいがしますな。
プレゼン相手は当時リクルートのメディアデザインセンター長の藤原和博氏と、
後段のくだりは研究室の教授であった戸沼幸市氏。
ま、結局卒業までには間に合わなかったので都市景観で別の卒論書いて出したんですけども。w
ちなみに、卒業後すぐに広告代理店に入社してコピーライターをしてたので
ゲームの仕上げには全くタッチできずに悔しい思いをしたんですが、
残してきた後輩(その後同じ広告代理店に入り今はエビちゃんバーガーのコピーを書いている)が
頑張ってくれてイメージどおりのものになりそれなり以上に売れたので
「ま、いっか」てな感じでございました。
ちゃんちゃん。
投稿者 KQZ : 2006年03月24日 20:54 | [EDIT]
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コメント
トラックバックどうもです。ことある毎に思うのですが、教育とエンターテイメントを対局にあるものと考えるのはもう古いというか、最初っからそんな事なかったのかも知れませんよね。遊びの中から得るモノって多い。
投稿者 てんてす : 2006年03月25日 16:59
●てんてすさま
反応が遅れてしまい申し訳ないです。
>教育とエンターテイメントを対局にあるものと考えるのはもう古いというか
アクション⇔リアクションの関係だけで考えればスッキリすると思うんですけどねー。
教育に限って言えば「同時性」(共時性)っていう視点は全くないのが広告屋あがりとしては大変残念なんですが紙幅が足りないためここら辺で失礼。
#Comment欄が狭すぎというか
投稿者 KQZ : 2006年03月27日 21:29