2004年07月23日
小津安二郎とアーケードシューティングゲームとは等しいかも、というお話
ひげいとう大師匠からのコメントもあったのでちょっとずつでも書いてみますか。
先日のひどいサイトの話で思い出したこともあるのでアートと実用の差ってとこに落ち着くのかもしれないけど、まぁ適当に。
(以前、似たような話をどっかの専門学校で話したこともあるような気がするけど、脱線してそこまでたどり着けなかったような気もするー)
高校生時分だからもう20年近くも前、レンタルビデオで小津安二郎の映画を何本か借りて見たことがある。よくある話だ。
絵のキレイさや静謐さなどが印象深かった等というのはともかくとして、その後のベンダース作品を観て知っているひねた高校生からすると正直過去の作品でありテクストとしての摂取でしかなかった。
もちろんそれなりに(高校生なりに)感心はしたけども。
そして大学に入り、名画座で同じ小津作品を観た時にはっきりと分かったことがあった。
小津作品て饒舌なのよ。目が離せない。
あー、こりゃリモコンと電話が悪かったんだな、と。
ちなみにこの頃から視聴姿勢ののめりこみの差を「つま先」とか「かかと」とか思い始めたような記憶も。
ビデオやDVDで映画を見るときには(あ、ちゃんと「見る」と「観る」を使い分けしてるっすよ)どうしたってリモコンと電話の呪縛からは逃れられない。
途中で止められるし、巻き戻し出来るし、だからいつだって電話がかかってきても大丈夫だし。
真剣に観てるつもりになっても感覚としてはそうではないということだ、という事に気づいたのだ。
対して映画館に行くというのは、上映時間に合わせて映画館に行き、トイレにも行き、電話の電源も切り、固定された席に座り、周囲の観客に気を使うがゆえに会話をすることも無く、暗闇の中で、ただただ映画のみに没入する姿勢を余儀なくされる、という事になる。
つまり逃げられないし、(観客からみて)自由度がないというわけ。
決められた時間を拘束され、監督の意図するような映画世界に無理やり晒される、それが昔から連綿と続いてきた『映画鑑賞』だったわけだ。
これら二つの差異が観客にとってどのように関わってくるのかを考えると面白い。
てなところで、いきなりゲームの話にしてみる。
(放送型コミュニティと通信型コミュニティ、なんて話もできるけどそれはまた別のお話)
現在家庭用で売れている板物ゲームというのは、ソフト本体(CD-ROMなどの追加記憶できないデバイス)と記憶デバイス(メモリーカードね)とで成り立っており、適宜セーブができ、リセットを行うことで随時戻ることが出来るようになっている。
(註:ここら辺を逆手に取ると、カセットを使えば「動物の森」のリセットさんみたいなことが出来るんだな。ちなみにPSなどの場合メモカを取り外される場合もあるので確認のひと手間が必要なので興が殺がれるし書き込み自体もめちゃくちゃ遅いのでこういうことはナカナカできない)
ここら辺のところが、リモコンがあって、巻き戻しもあって、のDVD鑑賞と似てしまっているところだと思うのだ。
関係ないけど、親戚の子供がパズル物なんかをやっているのをみると、すぐポーズボタンを押して休んでいるのをみてびっくりすることも多いんだよねー。緊張感とかドキドキする感覚がおそらくずれてるんだろう。どっちがいいとかいうわけではなくて。
対してアーケードゲームというのは好きなときにセーブできない。ポーズなんてできるわけも無い。トイレにだっていけない。
ほらね、映画館で観る映画に似ているでしょ。
さてさて。
ここで映画/ゲームの内容に踏み込んでみる。
ビデオで見られることを前提とした映画、あるいはテレビで放映されることを前提に作られている映画の場合(あ、僕はもともとテレビの放送作家で、その後広告代理店でCMとか作ったり映画の出資の話にかんでたり、現在はゲーム作ってるので、全部知ってると言えば知ってはいる)、ハリウッド的なアクション物を思い出せばいいと思うけど、細切れのシーン/事件/アクションがざざざざざと連続することによって観客の興味を逸らせないようにしている。
でもこれは実は目を逸らしても大丈夫なのだ。
だってリモコンがあるんだもん。
いわゆる通常の映画というものとは緊張感とかドキドキするポイントがおそらくずれてるんだろう。もちろんどっちがいいとかいうわけではないのも当たり前。
見逃したとしてもMPEG4みたいなもんで、前後のシーンを見れば中間は大体想像つくし、想像の範囲を超えることもあまりないしね。大体メインの想定観客を脳髄液がダイエットコークで出来てるようなアメリ(ry
(しかし、それを逆手にとって豪勢なシーンをさりげなく入れて驚かすってこともやってるけども。いつだってなんだって媒体の特性を逆手に取るのはクリエイターの癖だし)
ゲームで何行か前に書いた文章でいうところの、ポーズありの巻き戻しありの板物ゲームと同じことになるってことです。
(註:テレビやラジオ番組の場合にはCFで区切られたりビデオでの視聴を視野に入れたりするのでそれはそれでまた別のお話。しかしなんで俺ってばこんなニッチなノウハウを公開のページに書いてるんだろ? ひげいとうが悪いに違いない。もっと基本的なハリウッドの脚本の話のダイジェストが知りたかったらここら辺に)
さて、そして小津映画。(無論のこと小津だけの話じゃないんだけど)
逃げられない状況で長回しのシーンをじぃーっと観ていると、もうね画面の隅々にいたるまで気が行き届いてて、ものすごく饒舌な映画だということにいやおう無しに気づかされるのだ。
というか、僕らの周りの日常だっていつもいつの日にも饒舌なんだってことに気づくことにもなるんだけども。
で、それに気づいた後に同じ作品を一回ビデオでリモコンを片手に携帯を目の前に置いて見てみるといい。相当気を使ってみないと没入することは難しいはずなのだ。
携帯はメール着信でぷるぷるするし(これは電源を切っておけばいいが)、飲み物が無くなれば冷蔵庫まで行く事だって出来るし、見逃したと思えばいつだって巻き戻す事だって出来るんだから。
絶対に巻き戻さないと決意していたって「やろうと思えばできる」ってことを無意識が知っているだけで緊張感のレベルはずずずずぅーっと低くなるのだ。
さて、さて。
今では見る影も無いほど下火になっているアーケードのシューティングゲームに思いを馳せてみると、家庭用になってポーズや巻き戻しがあったらどうなのよ、なんてのは想像がつかないと思う。間延びしてしまってやる気がうせること請け合いだ。
(閑話休題というかなんというか)
もしかしたら、と思うことがある。
IMJの三木さんがマリーガル(メディアファクトリー)でゲームのプロデューサーをしていたときに話してて出てきたんだったかな、「演劇も映画も、見る人が少なくなってそれだけじゃ食えなくなってからやっとアートになった。ゲームもそうなるのかなぁ」なんて話をしたことがあるような。いや元の会社の先輩で現ソナーの岡崎孝太郎さんとだったっけか。
産業構造としての話はともかくとして、古式ゆかしいアートというのはそれだけではなくて「見るものの姿勢を規定する」という性質があるような気もしてしまう。関係性というかね。
んで、アートと実用との差異なのだが、例えばたとえば、ISPのページにアートなんかはいらないのだ。
それがこんな腐れページを作って「新しい、ポータルインターフェース」「ぜひいじってみてください。」とかいって悦にいっている輩がいるので困ったもんなのだ。(カッコ内の台詞をぐぐらないよーに)
ユーザーがどういった状況でこのページにたどり着いたのか、どういう体勢で見ているのか、これら課金コンテンツをどう見せていけば「金を払ってみてもいいかなぁ」と思わせることが出来るのか、ユーザーが全く違うアクションをした後このページに復帰したとして果たしてちゃんと繋がっていられるのか、ブックマークできなくてもいいのか、つーかなんだよ色ナビってのはよこんなセンスのねぇページ作ったやつにナビされたかねーよボケ… などなどなど突っ込みどころはいくらでもある。大体キレイじゃないし。
目が離せないのがアートならば、ISPのポータルがアートである必然性は全く無い。むしろ邪魔でしかない。
これを作った輩を元博報堂にして現Beamsの上原くんが切って捨てて曰く「あいつホント馬鹿でさ、お得意(クライアントのこと)の金で調査したり自分の作品作ろうってのが許せないんだよなぁ」「賞でもとって外資系か電通に中途で入りたいんだろ」ですとさ。
あーこわいこわい。
投稿者 KQZ : 2004年07月23日 12:45 | [EDIT]
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コメント
ファミコンの時代に,スタートボタンの連打機能付きコントローラなんてモノがあったのを思い出しましたよ。もちろん普通はスタートボタンに連打機能なんか必要ないわけで,目的はゲームをスローモーションにして,簡単にプレイするための代物だったわけですね。
ゲームの楽しみ方は人それぞれなので,こういう商品もアリだと思いますが,こんな商品があったことを自分の脳が記憶していて,今,思い出したことにちょっとビックリしましたよ(笑)
ところで,SCEI のページ( http://www.scei.co.jp/ )も相当ですよね。何の権利があって,人のCPUリソースをあんなに消費するデザインを放置しているんだとか問いつめてみたいす。まぁ,滅多にアクセスしないからいいんですけど。
投稿者 トロチチ : 2004年07月23日 01:16
面白い映画を見ていると、たとえそれがリビングでねっころがりながら見ていたとしても、ちょっと一時停止してトイレに出たり、退屈なシーンを早送りしたりというのが、なんだかとても失礼な気がしてなかなかできません。
そういうあたりはだいぶ感覚が違うんでしょうね
投稿者 shi3z : 2004年07月24日 08:28
放送されている番組についてなのですが、そろそろ「見逃しててもいいやー、どうせHDに取ってるしー」とかいった
およそ放送業界人の誰も遭遇したことのない視聴態度をとる人がこれから大半になっていくんでしょうね。
僕らはそういった岐路にいつでも立ち会えていて、そこら辺が面白いんですよねー。
たぶん20年くらい先の後輩から
「KQZさんたちの頃は良かったですよねー。新しいものがいっぱいで。Webとかケータイとか、プリクラもそうなんでしょ?」
と羨ましがられるはずなんですが、そういった僥倖に関しては同時代の人間はあまり実感できないのかもしれませんね。
何年か前に野茂が大リーグに挑戦するために日本で最後の公式戦の時にビートたけしが
「今見ておけばジジイになった時に孫に自慢ができるぞ」
と弟子にけしかけているのを見かけて、ああこの人はこういったセンスがすごいんだなぁ、と思ったものでした。
なんか関係ないけど脱線。
ま自分のサイトだからいいっすよね。(笑)
投稿者 KQZ : 2004年07月26日 02:05
ソニーの科学は世界一ィィィィィィィ!!!
演劇にかかわっているものとしては、CD、テレビ、ビデオなど録画媒体で人に見せられるものの伝播しやすさはうらやましいです
投稿者 小谷 : 2004年09月08日 04:14
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